HSCだった私②

前回は保育園時代のことを書いたので、今回は小学校の時に困ったことを書きます。
何かの参考になれば幸いです。

①上手く意思表示ができないことにより、先生に誤解され理不尽な目に合う

宿題がわからなくてできなかったのに、言い出せなくてやってこなかったと勘違いされ、教室の後ろに立たされました。すごく悔しかったです。
意見を求められた時、何を言ってよいかわからず黙っていると「はっきりしない子」だと皆の前で言われ、とてもショックでした。

②低学年の時クラスが学級崩壊しており、落ち着いて勉強できず

子供の頃は早生まれだからついていけないと思っていましたが、大人になってから学級崩壊していたからだと気づきました。
静かで落ち着いた環境でなかったので、力を発揮できなかったのです。
3年生でクラス替えしてからは、普通に勉強についていけるようになりました。

③小学校4年生の時に、自分は人とは違うことに気づき悩み始めました

自分の意見を言うと「変わり者」「わがまま」と言われ、黙っていると「人任せにするな」と言われ、どうして良いかわかりませんでした。
それでも黙っている方がマシだったので、意見を求められても黙るようになりました。
人間関係に悩み始めたのは、小学4年生の時です。
本当に悩んでいたので、セブンイレブンで売っていた心理学の本を買いました。
大人でも悩んでいる人がいると知って、少し救われた気分でした。
これが私と心理学の出会いです。

④一人で静かに遊んでいると、孤立していると勘違いされ、皆と遊ぶように諭される

皆が大縄跳びをしていたので、やりたくなくて一人でいました。
すると先生がやってきて、仲間に入るように言いました。
すごく嫌でしたが仕方なく仲間に入りました。
引っかかって目立ちたくなかったので、縄の下をくぐって飛びませんでした。
縄跳びというより縄くぐりです。
どうして一人で遊んではいけないのか、その時は理解できませんでした。

⑤空気を読みすぎて球技が苦手

運動神経は良かったのに球技が苦手でした。
誰にどんな風にパスしたらよいか、どこに立つのが適切か。
いろいろ考えすぎて動けなくなるからです。
だから球技は大嫌いでした。
ボールが来ない方向へ逃げるので、チームメイトには文句を言われます。
「お前のせいで負けた」と男子に足を蹴られたこともあります。
後で謝ってくれましたが、今でもあの時の痛みは忘れられません。

⑥感覚過敏のためムカデ競争は一番後ろ

運動会でムカデ競争があった時、全員参加なので困りました。
理由を話して一番後ろにしてもらいました。
背が小さいので、ほとんど大きい子の肩にぶら下がる感じです。
保育園の時より同級生と体格差があったのできつかったです。
今思い出しても苦行です。

⑦質問を笑われたことにより、自分から手を上げられなくなる

小学校2年生の時、国語の時間にわからない言葉があれば質問するように言われました。
国語が苦手だった私は、さっそく手を上げて質問しました。
するとクラスメートが「そんなの誰でも知っている」と一斉に笑い始めました。
そして先生も一緒になって笑い、止めようともしませんでした。
それ以降は、よほどの理由がない限り手を上げなくなりました。

まとめ

自信を失うような出来事が数多くありました。
良い先生にも恵まれず、年齢が上がるにつれて意思表示をしない子供になりました。
意見を求められれば黙り込み、嵐が過ぎ去るのをじっと待ちます。
小学校4年生から心理学に興味を持ち、何冊も本を買って読みました。
同じ系統の本を読んでいた母と貸し借りをし、小学校卒業時にはかなり心理学関係の知識がつきました。


HSCだった私①

今年になってHSPだとわかり、子供時代のことを色々と振り返りました。
幼い頃から刺激に敏感で、育てにくい子供だったようです。

母が働いていたため0歳から保育園へ行きました。
しかし、環境に馴染めずあまり良い思い出がありません。
今回は保育園時代の困ったことを書きます。
同じようにHSCの子供を持つ方、HSCやHSPの方の参考になれば幸いです。

①昼寝ができない

2歳の終わりから記憶があるのですが、保育園で昼寝ができませんでした。
私にとって落ち着ける環境ではなったからです。
昼寝の間は、じっと横になって動かず我慢していました。
ホールの高い天井を今でも思い出します。
先生が添い寝に来た時は、目を瞑って全力で寝たふりです。


大人になって人に話すと、そんな人は1人もいませんでした。
小さな頃から人に合わせていたみたいです。

②運動会のピストルの音に驚き、スタートできない

徒競走のピストルの音が苦手で、耳を塞いでうずくまっていました。
当然勝つことはできず、いつも負けです。
徒競走すらまともにできないのかと、すごく悔しかったです。

園庭は狭かったのでピストルとスタート地点の位置が近く、余計に音が大きく響きました。
一度驚いてからは「よーい」の合図で手を使って両耳を塞いで防御。
それでも音に驚いて固まり、しばらくスタートできないのです。
心臓は不自然なほど脈打ち、全身が熱くなってから急速に冷えました。


演劇などで役者がピストルを持つと、今でも反射的に両手で耳を塞ぎます。
突然の大きな音は、わかっていても怖いです。

③1人になりたくて登り棒の上に避難

登り棒の上り方を教えて貰った日から、1人になりたい時は登り棒の上にいました。
1人で登れる子は少なかったので、静かにのんびりできました。


先生が心配して、遠くから見守ってくれていたみたいです。
その時は気づかず、1人になれてほっとしていました。
登り棒の上から見た夕焼けは、今でも鮮明に記憶に残っています。

④肩に触られるのがダメで、電車ごっこができない

肩に手を置くタイプの電車ごっこに参加できませんでした。
腰もくすぐったいのでNGでした。
参加したい場合は、迷わずに一番後ろです。

大人になった今も、肩に触られると鳥肌が立ちます。
感覚が過敏なので、肩を組むことも腕を組むこともできません。
手を繋ぐのは大丈夫です。

⑤味覚が敏感で好き嫌いが多い

保育園では全部食べないと、ホールで居残りさせられました。
私は好き嫌いが多かったので、いつも居残りです。
生の玉葱が辛くて食べられず、最後の1人まで残った記憶が鮮明に残っています。

お菓子にも好き嫌いがあり、嫌いなお菓子は絶対に食べませんでした。
子供なのに甘いものが苦手で、誕生会で出されたケーキは1人だけ残していました。

⑥必ずバス酔いするのに、酔い止めが甘すぎて飲めない

子供用の酔い止め薬は甘く、飲むのがきつかったです。
最初は吐き気を堪えて飲んでいたのですが、途中から親に内緒でトイレに捨てていました。
薬品特有の不自然な味が感じ取れたので、どうしても飲めませんでした。


当然、毎回激しくバス酔いしました。
何度も車内で吐いたことがあります。

⑦怖がりすぎて肝試しに参加できない

ものすごく怖がりだったので、肝試しは毎回不参加できた。
無理に強要されなくてよかったです。
肝試しというより、突然驚かされるのが苦手です。


遊園地などでお金を払って、怖い思いをする理由がよくわかりませんでした。
大人になってからは、理解できるようになりましたが。
子供の頃はずっと疑問でした。

⑧いつも人目を気にして自由に振る舞えない

ある日、保育園についてカバンを開けると中からゴキブリが出てきました。
その時私が考えたのは、誰かに見られてないかでした。


ゴキブリが怖いとか汚いとか、そんなことを気にする前に周囲を見回しました。
皆、別のことに夢中でこちらには気づかず、ゴキブリは空いた窓から出て行きました。
それを見て私はとてもほっとしました。


ゴキブリがカバンから出たことで、皆に嫌われるのが怖かったのです。
こんな風にいつも人目を気にする子供でした。

⑨何か嫌なことがあると2週間保育園に行かない

細かい理由は覚えていないですが、嫌なことがあると2週間保育園に行きませんでした。
親はなんとか私を連れて行こうとしましたが、機嫌が直るまで毎回2週間かかったみたいです。


保育園児の2週間は長いです。
本当に疲れて限界だったのだと思います。
休んでいる間は、祖母の家に預けられたり、父の職場に遊びに行ったりしました。
行ける場所があってよかったです。

⑩先生にプールに沈められ、3年間保育園のプールに入れない

3歳の時に先生にプールに沈められました。
悪気はなかったのでしょうが、自分の予期せぬタイミングだったので、すごく怖かったです。


鼻から水が入って、頭が痺れたことを覚えています。
それ以来、私は保育園ではプールに入れませんでした。
次の年も、その次の年も無理でした。
結局卒園まで一度もプールには入らず。


皆がプールで泳ぐのを見ながら、浅いゴムのプールの中に座っていたのを覚えています。
家族と遊びに行った遊園地のプールや市営プールには普通に入れました。
そこには怖い先生はいなかったので。

⑪早生まれで何をやっても人よりできない

これはHSPとは関係ないのですが、早生まれなので人よりできなくて苦労しました。
特に小さい頃の月齢の差は大きく、頑張ってもどうにもなりませんでした。
毎回母が先生に呼ばれ、何か言われていたのを覚えています。
クラスで3人ボタンをかけられてない子がいると、その1人が私です。


人より成長が遅いせいか、女の子たちとは話が合わず、男の子たちと遊ぶ方が気楽でした。
今でも思い出せるのは男の子の名前ばかり。
女の子で思い出せるのは、私に意地悪をした子だけです。

⑪理不尽な理由で先生に怒られる

上気の数々の困り事が原因なのか、先生から理不尽な理由で怒られることがありました。
2月の始め教室で鬼のお面を作っていた時、先生の指示通りできなくて怒られました。
鉛筆に紙を巻き付けて、鬼の巻き毛を作っていたのですが、どうしてもできませんでした。


「なんでできないの?」と先生は私を怒鳴りました。
突然の大きな怒鳴り声。
驚いて固まったのを覚えています。


できなくて困っていたのに、追い打ちをかけるような台詞。
しかも周囲に他の子もいたので、すごく恥ずかしかったです。
大人になっても節分になると思い出します。

まとめ

HSPの特性と早生まれが重なり、保育園生活は私にとって辛いものでした。
幼稚園に行ける子が本当に羨ましかったです。
幼稚園なら早く終わって家に帰れるので。

HSP気質を持った私には、静かな環境と1人になれる時間が必要でした。
しかし保育園でそれらを確保することは、とても難しかったです。

延長保育で子供の数が少なくなり、園内が薄暗くなると元気になりました。
ようやく落ち着いて遊べるからです。

HSPについて正しい認知が広まり、私のような子供が少しでも生きやすくなると良いです。